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『換魂綺譚―アヴァタール』(テオフィル・ゴーチェ)



「入れ替わり」モノの調査とリスト化の盲点といえば、「転校生」以前の作品と男女間以外の作品、そして海外の作品だといっても差し支えない。

おそらく「入れ替わり」モノの研究が、TSFを中心になされたことや、「転校生」のイメージがあまりにも強くて、それ以前の作品がほとんど忘れ去られてしまったからではないかと思われるが、この点では、かの「入れ替わりマニアックス」はもちろんのこと、かつて存在した「てっつ庵」や「craft」も十分とは言えず、20世紀以降の作品、それも日本で翻訳された作品に限られていた。

そのせいからか、この作品は過去4度も刊行(収録)されたにもかかわらず、これらのサイトのリストにすら含まれず、話題に上ることもなかった。TSFのマニアもおそらく知らないのではないだろうか。それが、テオフィル・ゴーチェ(ゴーティエ)の小説”Avatar”(「化身」「権化」の意)だ。



換魂綺譚



本国では1856年に新聞に連載されたという。
現在、私が確認できる限りでは、欧米最古の「入れ替わり」モノだ。

ちなみに、この本は1948年、創元社刊(林憲一郎訳)。
百花文庫という、終戦直後に刊行されていた、文庫本より一回り大きい粗末な本だ。


内容は、世間が最も嫌う(?)男同士の「入れ替わり」。
それも絶世の美女に一目ぼれしたものの、その女性はすでに結婚していたということを知って、それ以来厭世的になってしまった青年貴族オクターヴと、彼の一目ぼれした女性プラスコヴィの夫オラーフが、オクターヴの治療のために、インドで修行をした医者〈魔術師)シェルボノー博士によって、半ば強引に魂を「入れ替えられる」いう設定。これじゃ「入れ替わり」の定番である、コメディーも期待できない。

訳者いわく「ゴーチェ的」だというが、私自身、ゴーチェの作品はあまり読んだことがないから、どこがどう「ゴーチェ的」なのかよくわからない。だが、この作品が書かれたころ、かの「おれがあいつであいつがおれで」や「転校生」はもちろんのこと、欧米の「入れ替わり」モノの名作であるF・アンステイの”Vice Versa”やメアリー・ロジャーズの”Freaky Friday”もまだなかっただけに、現代の「入れ替わり」モノに慣れ親しんでいる私にとっては、どこか斬新に見えてくる。


「入れ替わり」モノの歴史を語るうえでも欠かせない作品だが、旧字体と差別用語には悩まされた。
それがかえって「周囲からおかしいと思われる」ということをいっそう強調しているようにも思えるのだが、さて、ほかの三つの版(『ゴーティエ幻想作品集』『テオフィル・ゴーチェ小説選集』『変化 フランス幻想文学』)はどうなっているのやら。検証したいが、金がない…。

それだけ、この作家の作品は絶版が多く、古書価格も高いってことです(笑)











超世界への旅 日本のSF短編集

気がつくと、このブログも一年以上更新していなかった。

その間といえば、卒論と「TS解体新書」の記事の執筆に没頭していた。つまり、忙しくて、ブログに手が回らなかったわけだ。

とはいえ、大学も無事に卒業し、もらった祝金で4冊ほど「入れ替わり」モノを買った。
すべてクロエさんのサイト「入れ替わりマニアックス」のリストには掲載されていない本で、うち3作品は作品自体、リストされていない。いずれ、このブログで紹介することとしたいが『転校生』よりも前に発表された作品であることはいうまでもない。

超世界への旅表紙


今回紹介したいのはSF少年文庫の一冊「超世界への旅 日本のSF短編集」(1972年 岩崎書店)。
この作品は、以前にも取り上げた、光瀬龍の「あばよ!明日の由紀」の単行本初収録のバージョンだ。

SF少年文庫は1970年から73年にかけて、岩崎書店から刊行された全30巻からなる児童向けのSFシリーズで、これは17巻目。当時存命中だった国内・海外のSF作家の作品をはじめ、ウェルズやベリャーエフなどといった古典的SF作家の作品や短編を含んだバラエティ豊かなシリーズで、1986年と2005年~2007年の2度再刊行されている、児童向けのSFシリーズの傑作だ。

このシリーズは、当時は学校の図書館にもよく置かれていたようで、そのせいか、図書館の除籍本をわりと見かける。それだけに、今の40代以上の人なら、背や表紙に書かれた「SF少年文庫」というロゴに見覚えがある人や、その当時読んだ人だって少なくないだろう。
しかし、もともと図書館や学校向けに販売されたものなので部数も多くないし、児童書ということもあって、函やカバーが欠けていることも少なくない。実際、このシリーズの前半15巻の初期バージョンの函付きともなると、1万円を超えることもあるようだ。


ちなみに、私が入手したのは1980年発行の重版(第8版)でカバー欠。とはいっても、この巻は案外見かけないように思う。ちなみにこの巻以外で案外見かけないのは、メレンチェフの『宇宙紀元ゼロ年』や草川隆の『まぼろしの支配者』などが挙げられるだろうが…。


説明が長くなってしまったが、本題に移ろう。
ストーリーは前にも話したので、今回はイラストについての評論だけとしたい。

IMG_0001 (2)


同作の部分の挿絵は5枚(扉含む)。
ソノラマ文庫版『あばよ!明日の由紀』と同じく、古田足日の小説「大きい1年生と小さな2年生」の挿絵で有名な中山正美によるものだ。

IMG_0003.jpg

ソノラマ文庫版に比べ、幾分やわらかいタッチで描かれているとはいえ、由紀の目つきや服装などがいかにも不良少女らしくみえる。


そして、極めつけはこのイラスト!

IMG_0002 (3)

由紀になった章二が、由紀の家で、自分の姿を確認する場面。
今、まさにズボンを脱ごうとしている様子が描かれている。
初出にはあるかもしれないとは思っていたが、まさか単行本収録時にもあったとは…。


もともと「高1コース」という雑誌に連載された作品というだけに、小学校高学年~中学生向けの児童書に収録されているのが不思議な感じもするのだが、それはともあれ、こういったシリーズに掲載されたということは、いかに「入れ替わり」という設定がSF的かつ、特徴的なものに映っていたのかを感じさせられる。それだけに、「転校生」以前の男女入れ替わりものとしては「あべこべ玉」や「へんしん!ポンポコ玉」に並ぶ名作といってもいいかもしれない。

ちなみに、この本にはこの作品を含めて10の短編が収録されているが、その他の収録作品などについては、下記のサイトを参照。

http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/chousekai.htm





「入れ替わり」フィクションとの出会い、そして…

しばらく、この第2ブログを更新していなかったのに気づいた。

本当は、式貴士の「猫は頭にきた」でも取り上げようと思っていたのだが、記事が書きづらい内容の作品である。それがだめならば、藤子・F・不二雄の作品を取り上げようとも思ったが、肝心の本が図書館にあっても、人気なのかなかなか置いていないので、難しそうだ。
そこで方向転換し、「転校生以前」はいったん打ち切りにして、児童書か、『転校生』と同時代の作品の紹介に移ろうとも考えている。(残念なことに、最近ヤフオクに『おれがあいつであいつがおれで』の初出である、「小六時代」が何冊か出ていたのだが、惜しいところで落札できなかった)。


そんな状況なので、話は変えて、私がなぜ「入れ替わり」フィクションに興味を持ったのか、そのことについて触れることにしよう。
はっきり言っておくが、最初に見た「入れ替わり」フィクションが何であったかははっきりと覚えていない。時期的には小学校高学年ごろとまではわかるのだが…。
しかし、私が小学6年生の時に放映された「どっちがどっち」などはよく覚えていて、(全部の回を見たわけではないが)、そのことでクラスメートと話が盛り上がったことがある。
でも、そのころには、こういった作品に興味はあったにせよ、のめりこむことはなかった。

しかし、高校時代になってから、転機が訪れる。

改めてそういった作品を調べているときに、私はクロエさんの「入れ替わりマニアックス」というサイトの存在を知ったのである。今まで、断片的な資料しか持っていなかっただけに、結構役に立った。YouTubeの登場もそれをさらにかき立てたのかもしれない。断続的にではあるが、これらの作品に興味を持ち、実際にあたってみた。
けれども、古い作品、特に『転校生』以前の作品については記述が弱く、不明な点も多く、古書店をまわったり、ほかのサイトも参考にしたりした。(今になって、結構判明しているのだが…)。
ちなみに、「TS解体新書」に連載中の「ありえる”かもしれない”未来」の構想を書き始めたのもこのころだ。(『パパとムスメの7日間』の原作本が刊行されたころに始めたと記憶している)。「実現不可能であるならば、そうだと言える根拠は何か」ということを考えてみたときに、そのようなものが見当たらないことに気付いたからだ。

だが、私にとってこれがなんであるかを聞かれると、非常に難しい。あまりにもありきたりなことばかり言うのか、話が難しすぎてついてこれないのか、コメントもなかなか来ないし、自分でもしっかりした文章が書けているという自信を持てずにいる。自分は意外にも、高望みしすぎているのかもしれない。
けれども、「入れ替わり」がいかなるものであるのかをしっかりと分析したものも少ないし、ましてやそれがもし実現したらどうなるのかを真剣に考えたものも見たことがない。多くの人は、マンガやアニメなど、フィクションの中のことだとしか思っていないし、私もこれがある意味”賭け”のような理論であると考えている。2012年のマヤの地球滅亡の予言が本当かどうかわからないように、未来に何が起きるか、どんな技術が登場しているかもわからないからだ。その中に「入れ替わり」がある”かも”しれない。それは、気が遠くなりそうなほど先の未来にはこういったものが実現しているかもしれない。
でも、その時になって、どのような影響をもたらすかについて人々が考えるのをやめたらどうなるだろうか?
お上の言うことに従いっぱなしであるとき、破局的な状況に陥ったらどうなるか?政治や社会などに対する人々の関心が薄れているという話をよく耳にするが、いずれ、さまざまな問題に無関心な国民だらけになったとしても不思議ではない。
そういうときだ
からこそ、この社会に点在する様々な問題を「入れ替わり」フィクションがどう扱っているかを探し出すとともに、もしも「実現した」場合に考えられることをいろいろ思考してみるのである。

一言でいうならば、フィクションはそれらの”思考材料”としてあると思う。

「あばよ!明日の由紀」(光瀬 龍 1969)


1960年代、時はSFの全盛期だった。
アイザック・アシモフやロバート・ハインラインなどといった多くの海外作家の作品が翻訳され、日本人による作品が数多く発表された。『時をかける少女』『日本以外全部沈没』の筒井康隆(1934~)や『日本沈没』の小松左京(1931~2011)、「SFマガジン」初代編集長の福島正実(1929~76)、『ねらわれた学園』の眉村卓(1934~)1000編を超えるショートショートで有名な星新一などが当時活躍した作家として挙げられよう。
 だが、多くのSF作家たちは「入れ替わり」という、この荒唐無稽なテーマを好まなかったようだ。
なぜならこれらの有名作家の作品をほとんど挙げることができないからである。おそらく、今のところ科学的には成り立たないので、結局はファンタジーの域を出ないからだと思われる。
その例外的な作品がこの『あばよ!明日の由紀』である。

21世紀によみがえった異色のSF作品
高校1年の冬であった。クロエさんの「入れ替わりマニアックス」でこの作品を知った。しかし、すでに絶版から20年以上が経過していることもあって、古書店などを回ってみても見つからなかった。ところが、数か月して、ヤフオクに同じくソノラマ文庫から出た『作戦NACL』とともに出品されているのをみて入札し、210円で落札した。初版の翌年に発行された第2版で小口やカバーにシミがあり、カバーの袖が折れているなど、状態はよくなかったが、読めただけでもよかったといえよう。
著者の光瀬龍(1928~99)は高校の理科の教師をするかたわら、宇宙や歴史をテーマにしたSFや推理小説風のジュニア向けSFを書いていた作家で、東映制作の特撮「キャプテンウルトラ」の監修を務めたことでも知られる。今では一般的な知名度こそ低いが、「宇宙年代記」シリーズや萩尾望都によって漫画化された『百億の昼と千億の夜』などが代表的な作品である。
初出は「高1コース」1969年4~7月号で、1972年8月に岩崎書店より刊行された「SF少年文庫」の一冊『超世界への旅 日本のSF短編集』に収録された(なお、このアンソロジーは1986年、2006年にも復刊されている。後述)。
これとは別に1979年10月にソノラマ文庫(朝日ソノラマ)から刊行された『あばよ!明日の由紀』がある。同作のほか、初収録となる2作品「逃げろ!ユカ」「ゆく春のうた」が収録されている。この時期、ソノラマ文庫は新たに刊行する作品が少なく、学研の「○○コース(○○には学年が入る。たとえば「中一コース」や「高一コース」など)」の過去の掲載作品を文庫化していた時期だったという。(ちなみに、ソノラマ文庫から刊行された光瀬龍作品は7冊あるが、うち3冊はサンヤングシリーズの文庫化、1冊はSF少年文庫の文庫化、残り3冊が「○○コース」収録作品である)
苦難の中から生まれた本だったのである。

内容紹介
主人公で高校1年生の戸沢章二は、モデルとして生徒たちから愛されている同級生の白川麗子に手紙を渡すものの、あっさり振られてしまう。失恋した彼は、その晩「美しい女の子に生まれ変わって、好きなやつをふってやったら気持ちがいいだろうなあ」と思って眠りに就いた。
気がつくと彼は行ったことのないゴーゴーのホールにいて、まわりの少女たちに「おねえちゃん」と呼ばれていた。彼は急いでホールを出ると思わず「私は逢坂由紀!」と叫んでしまった。あやしく思い、花屋のショーウィンドウに顔を映すとそこにはかわいらしい少女が映っていた。彼は逢坂由紀という少女になってしまったのである。
章二は由紀の家へ向かった。部屋を探って発見した日記には由紀が幻聴に悩んでおり、そのことを理由に彼女が家出をしたことが記されていた。由紀は章二になっていると思った章二は自分の家へ向かう。
彼の予測通り、由紀は章二になっていた。しかも、この不思議なできごとにはルイ・オサリバンという人物がやったのだという。二人はその原因を探るため、また、元に戻るために家出し、学校を休んでまで準備した。
その夜、二人はオサリバンの屋敷に潜入し、決闘の末、二人は元に戻った。けれども、オサリバンの正体や目的などは分からずじまいであった。

『転校生』との比較
「転校生」公開の10年以上前にこのような作品があったという意味では「あべこべ物語」と同様、特筆すべき作品で、共通する点、比較になる点も多い。
まず、初出が学年誌であることが挙げられる。学研の「○○コース」と旺文社の「○○時代」(○○には学年が入る)は当時、非常に有名な雑誌でライバル関係にあった。また、入れ替わるのが男女であり、話の最後には元に戻る点も共通している。
ところが、「おれがあいつで~」はファンタジーであるのに対して、「あばよ!~」は(いちおう)SFで、行動のおかしさを重視しているとはいえない。「おれがあいつで~」をはじめ、それ以後に発表された作品の多くは成行きにまかせて元に戻ろうとは努力せず、元に戻るまでお互いのふりをして過ごそうとする傾向にある。一方で「あばよ!~」はそのような考えが多少はあるものの、自分たちが入れ替わった原因の解明に積極的である。
それは光瀬の作風にあろう。この時期、光瀬はジュニア向けの雑誌で推理小説風のSF作品を多く発表している。これらの作品は主人公の周りで何か不思議な事件が起き、その原因などを突き止めるために周囲を調べ、解決に向かわせるという設定になっている。これは、彼のジュニア向けSF作品の代表作『暁はただ銀色』『北北東を警戒せよ』『作戦NACL』『明日への追跡』なども同じである。
どちらも、入れ替わったことを秘密にしている点では共通しているが、ことも挙げられる。「おれがあいつで~」はできるだけそのことを秘密にしようとしてはいるが、普段通りに学校に行っている。その結果として、二人の様子から、また、入れ替わっている状態が長続き(おそらく数カ月)していることから、結局ばれてしまう。一方、「あばよ!~」では二人が学校を無断欠席している。これは、入れ替わったことが友人にばれたり性格の変化におどろいたりしないようにするためであろう。その期間も内容からして2・3日くらいだと思われる。のちの作品では、「おれがあいつで~」のほうが内容的に面白いのでよく用いられ、騒動を起こすことが話の題材となっていることが多いので、展開からすれば、少し残念でもある。
性的な描写にも違いがある。「おれがあいつで~」以降の作品では女子になった男子が自身(つまり相手)の裸に興味を示そうとすることが多い。そのために、男子の体になった女子から怒られ、風呂に入る時に目隠しをされる「目隠しイベント」という描写がある。これは思春期特有の男子の好奇心をうまく表現したものだ。一方、「あばよ!~」では、由紀の体になった章二は興味を示そうとするどころか、「見てはいけないものを見てしまった」と恐れている。性的なものに興味をもってはいけないという当時の風潮からだろうか。
また、原因についてもはっきりと確定できないことも『転校生』とは異なっている。『転校生』は、どういうメカニズムで起こったのかは分からないにせよ、石段から転げ落ちたことがその原因である。しかし、『あばよ!~』ではそのきっかけを作ったのがルイ・オサリバンという老人であることまではわかるものの、どのようなことをしたのかについては一切触れられていない。おそらく、彼は宇宙人であり、我々には理解できない高度な科学技術をもって二人を入れ替えたということまでは推測できるのだが…。
『おれがあいつで~』や『転校生』では性や相互理解などについてのテーマがはっきりと作品に描かれ、逆に、それが原因で非難されるくらいだったという。しかし、一方、「あばよ~」にはその感じが薄い。
おそらく、この点において受け入れられなかったのだろう。当時の評価はよく知らないのだが、おそらく、不思議な内容のSF作品として楽しまれていたことだろう。

21世紀に奇跡の復活!
この作品は「SFロマン文庫」を最後に絶版となり、作品を読むことすら難しい状況にあった。しかし、2006年にこの作品集を含むシリーズを復刊した「SF名作コレクション」が刊行されたことで、この作品自体を読むことは簡単になった。私もつい最近、某市の図書館でこの本を発見し、手持ちのソノラマ文庫版と比較することができた。大筋ではストーリーの変更は特にないが、ソノラマ版の「ゴーゴー」が「店」と記されていたり、漢字や句読点などが違っていたりと、低年齢(小学校高学年)向けに書き直された感じも否めない。挿絵も、中山正美のソフトなタッチの絵から、寺島昭のやや精細なタッチの絵に変更されたことも残念な点ではある。 
ソノラマ文庫版は絶版となっているものの、市価はそれほど高くなく300円~800円が相場である。ところが、併録の2作品が復刊されておらず、本自体がソノラマ文庫より刊行された他の光瀬作品に比べるとあまりにも市場に出てこないので、探している人も多いようだ。

『あばよ!明日の由紀』は、テーマの強さにおいて『転校生』にかなわない。
とはいえ、前回・前々回で述べた『あべこべ物語』と同じく『転校生』以前に、しかもSFでこのような作品が存在したということだけでも貴重で、今まで忘れ去られてきたという事実が惜しいくらいである。『おれがあいつであいつがおれで』や『パパとムスメの7日間』もいいけれど、懐かしさと新しさついでに読んでみてもいいのではないだろうか?


・収録書籍リスト
「超世界への旅 日本のSF短編集」 SF少年文庫17 福島正実編 岩崎書店 1972
                  SFロマン文庫17           1986
SF名作コレクション第2期       2006
「あばよ!明日の由紀」       ソノラマ文庫(朝日ソノラマ)      1979


(注)
※)SF少年文庫…
1970~73年にかけて岩崎書店から刊行されたジュニア向けのSF作品選。ハードカバーで、背と表紙の右上に赤く「SF」と書かれた大きなロゴがある。初期15巻までは「エスエフ少年文庫」と記されており函装で、ロゴのデザインも異なっていた。25巻までの予定だったが、ラインナップを大幅に変えて30巻まで刊行された。内容は、古典的作品、刊行時点で存命中だった海外の有名作家の作品、日本の作家の作品など多岐にわたっており、中には光瀬の『作戦NACL』や『まぼろしのペンフレンド』(眉村卓)「迷宮世界」(福島正実)などのように、のちに文庫化された作品もある。途中、カバー装に改められて1970年代終わりまで刊行され、当時の子供たちに親しまれた。「SFロマン文庫」は1986年発行。全巻を復刊したもので、ソフトカバーであるほか、ロゴが異なる。「SF名作コレクション」は判型および挿絵を変更したもの。出版元に在庫はないようだが、図書館で探すと比較的見つけやすいことだろう。

※)ソノラマ文庫…
朝日ソノラマから出ていた文庫シリーズ。1975年に「宇宙戦艦ヤマト」(豊田有恒原案、石津嵐著)など10巻が刊行されたのが最初で、初期の作品は「サン・ヤングシリーズ」からの再録が多かった。ライトノベル文庫の中では最も古く、ハードな作風のものが多かったが、2007年に出版社の倒産により廃刊。その一部は、朝日文庫・ソノラマセレクションやソノラマノベルスレーベル(朝日新聞社)に引き継がれている。
代表的な作品として高千穂遙の『クラッシャージョウ』や、菊地秀行の『吸血鬼ハンターD』、笹本祐一の『ARIEL』などがあった。

あべこべ物語(1932?)その2

映画「転校生」にすり替えられた元祖の地位
前回述べたように、『あべこべ物語』は日本における「入れ替わり」というテーマを扱った作品の元祖であるといえよう。しかし、この作品が、今の「入れ替わり」を扱った作品に直接、影響をもたらしているとするのは考えすぎだと思われる。これには二つの理由がある。一つは、今後の研究によってはこれよりも古い作品を発掘する可能性もあること、もう一つは現在この作品が、もはや完全に忘れ去られているといっても過言ではないほど話題にのぼることがほとんどないことである。

『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』(角川学芸出版 2008年)によると、大林宣彦監督自身もこの作品を子どもの頃に読んだという。読んだのはおそらく、『ユーモア艦隊』、もしくは1948年に刊行された湘南書房版『あべこべ玉』だと思われるが、作品の詳細については記載されていないのが惜しまれる。『転校生』公開以後、似た内容やテーマの作品がフィクションにおいて数多く登場しているにもかかわらず、引き合いに出されることはめったにない。

今のところ、この作品の最も新しい版は1982年12月に刊行された青い鳥文庫版である。この版の売れ行きは悪かったのだろうか、初版のみで絶版となったようでその後は刊行されていない。1982年といえば、大林宣彦監督の映画『転校生』が公開された年であり、その因果関係ははっきりしないものの、この作品が少なからず影響を及ぼしたものと考えられる。

かつて、『サトウハチローユーモア小説選』という作品集が岩崎書店から刊行されたことからもわかるように、1973年にサトウハチローが没して以後、彼の様々な分野における作品の評価が行われてきた中で、この作品が刊行されたのだと思われる。けれども今、彼が童謡や詩だけでなく、小説の分野でも活躍していたことを知る人は少ない。もちろん、これらの本も1990年代初頭までには絶版となり、今では古書店や図書館でないと見つけることができない。(注:『サトウハチローユーモア小説選』のうち、一部は岩崎書店のフォア文庫からも刊行された)。

軽いタッチのコメディーと性や相互理解など、さまざまな要素を盛り込んだ作品、どちらが人々から高い評価を得るかは明らかである。その結果、半世紀近くにわたって(断続的とはいえるだろうが)読まれてきた『あべこべ物語』はついに『転校生』の前に敗れたのだ。
最も新しい講談社青い鳥文庫版の刊行からでも四半世紀を経た今、この作品を読むことは困難である。戦前に刊行された『ユーモア艦隊』はもはや稀覯本となり、少年少女講談社文庫版、青い鳥文庫版でさえも古書店ですらなかなか見かけなくなってしまった。

ほかのジャンルにおける「元祖」のなかには、H・G・ウェルズの『タイムマシン』や『宇宙戦争』『透明人間』のように、不朽の名作として揺るがぬ地位を得ているものが多い。けれども、そこに『あべこべ物語』の姿はない。現在「入れ替わり」というテーマの元祖は『転校生』あるいはその原作の『おれがあいつであいつがおれで』ということになっている。確かに、現在の作品に影響を与えた直接的な元祖としては、この2作品がふさわしいであろう。けれども、その点だけに注目してしまうと、『転校生』以前の作品たち、つまり「前史」があったことを忘れされられてしまう。その点において『転校生』は『あべこべ物語』というもう一つの元祖を葬り去ってしまったということもできよう。

今、真の「元祖」は図書館や古書店の本棚で深い眠りについている。だが、それを手に取らずして、『転校生』以後の作品について本当の意味で語ることはできないであろう。

次に紹介する作品もまた、『転校生』以前の「入れ替わり」フィクションを語る上で重要な作品である。この作品も長い眠りについていたが、最近になって再びよみがえることができたものである。

それが光瀬龍の『あばよ!明日の由紀』(1969年)である。
次回はこの作品について語ることにしよう。

プロフィール

ウラックマ

Author:ウラックマ
「ありえる”かもしれない”未来~入れ替わりがもし本当にできたら~」を掲載しているウラックマです。この第2ブログの内容は、「入れ替わり」を扱った作品についての紹介と分析です。

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