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復活!TS解体新書

GW3日目。

今日はいい天気でしたね。

サイトにアクセス不能になっていたTS解体新書でしたが、先週復活しました。

http://tskaitai.okoshi-yasu.com/mokuji.html

噂によると、「これがTS本だ!」に貼ってあったAmazonのリンクが、アフィリエイト禁止の方針に引っかかったが原因だったのではないかといいますが…。


ごたごたのため、当方も、いつもの半分の量の短縮掲載となってしまいましたが、何とか間に合いました。

ただし、今週は先週の続きの文としたいと思います(笑)

読んでいる人はいないと思いますが、念のため。



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ある「入れ替わり」マニアの断章(その2)

『転校生』以前の「入れ替わり」モノの面白さを他人に伝えるのは難しい。

最近、1920年代から70年代にかけて刊行された本を何冊か入手した。しかし、その多くは旧字体で理解しづらく、「面白い」とは到底いえないものであった。実際、友達に話しても、全く受けなかったのである。

中には5000円もしたものがあったが、買った価値があったのかどうか、私にはわからない(すぐに傷んでしまいそうだからということもあるのだが)。

それも当然のことだろう。歴史的に貴重な作品、重要な作品が、今の私たちや今の日本人にとって魅力的で、興味のわく作品であるとは限らない。説教くさかったり、ストーリーを理解しづらかったり、面白くなかったり…。

それなのに、一般に名作といわれているのも多いわけだが「入れ替わり」モノの場合は少し違っている。それは、世間一般には全くといっていいほど知られていないということである。

ある「入れ替わり」マニアの断章(その1)

「入れ替わり」は男女間である。
しかしすべての「入れ替わり」が男女間とは限らない。
「入れ替わり」は交換である。
しかしすべての「入れ替わり」が交換とは限らない。
「入れ替わり」は現象である。
しかしすべての「入れ替わり」が現象とは限らない。
「入れ替わり」はアクシデントである。
しかしすべての「入れ替わり」がアクシデントとは限らない。
「入れ替わり」はコメディー・ギャグである。
しかしすべての「入れ替わり」がコメディー・ギャグとは限らない。
「入れ替わり」は戸惑いである。
しかしすべての「入れ替わり」が戸惑いとは限らない。
「入れ替わり」は最後、元に戻る。
しかしすべての「入れ替わり」が最後、元に戻るとは限らない。
「入れ替わり」は相互理解のきっかけである。
しかしすべての「入れ替わり」が相互理解のきっかけになるとは限らない。
「入れ替わり」は入れ替わりである。
しかしすべての「入れ替わり」が入れ替わりというわけではない。
「入れ替わり」はパターンである。
しかしすべての「入れ替わり」がパターンに当てはまるわけではない。
「入れ替わり」は多様である。
しかし、そのことを多くの人が理解しているわけではない。
そうではない人も、もしかしたらTSFのマニアも…。

私は文章を書くのが苦手だ。
一日に何時間も座っていても、何も思い浮かばず時間だけが過ぎていくこともあるし、どこに何を入れたらいいのかで悩むことも多い。それに、自分でも何を書いているのかわからないブラックボックスと化していることも少なくないし、自分しか思いつかないようなことというのもほとんどないに等しい。出てくるのは、ネットサーフィンをすれば、必ずといっていいほど、誰かが思いついてしまっていることばかりだ。

けれども、そういった記事を見て気づくのは、コメントがほとんど見られないということだ。おそらく「入れ替わり」それ自体が、世間では軽んじられてしまっているからだろう。また「使い古されたもの」というマイナスイメージも強いからか、娯楽としてだけではなく、学問的題材の一つとして考えようという姿勢は見られないようだ。実際、そういった作品をテーマとした研究というのは全くといっていいほどない。

それだけ私は、世間では認められていないようなことを考えているわけだが、世間では軽んじられ、前例も(まとまった形では)ほとんどないに等しいだけに、まるで、形のつかめない土器の断片から土器を復元するようなものだ(しかもそれだけをやっているのではない)。しかも、私が作品を投稿している「TS解体新書」がアクセス不能になってしまい、作品の発表ができなくなってしまった。

そこで思いついたのが、この「ある「入れ替わり」マニアの断章」である。「TS解体新書」投稿分とは違い、この連載は特にテーマはない。思いついたことや考えたことを「入れ替わり」に限らず、TSFや世間の話題も含めて扱い、それも毎回数ページ前後と少なめで、読者にも考える余地を与えた形で、できる限り毎日掲載することに重点を置くことにしている。いわば、メモとエッセイの中間のようなものだ。

それに、これはあくまでもアイディア集と思考の断片にすぎず、一つにまとめようという気もないし、完成させようという気もない。最悪、誰にも読んでもらえなくとも構わない。それはともあれ、文章の練習を兼ねて、さまざまな話題を気楽に扱えるのではないかと思って書いているだけだ。

ま、自分語りはこれだけとして、次回から本題に移ることにしたい。

TS解体新書がアクセス不能

昨日の午後のことだったか、一瞬衝撃が走った。
私が記事を投稿しているtoshi9さんのサイト「TS解体新書」がアクセス不能になっているのに気づいた。

http://www.geocities.jp/toshi9_kaitai/mokuji.htm

Yahooの検索結果には引っかかるものの、アクセス不能。
しかも、閉鎖との知らせもなし。
現在もアクセス不能の状態が続いている。

いったい何があったのやら…。


なお、私の連載のほうは、復帰まで暫定的に本サイトで継続予定。


(4月24日補記)

toshi9さんにメールしたところ、いずれかのファイルが利用規定にひっかかったらしく、凍結状態になっており、移転を考えているとのこと。

閉鎖でなくてよかった~!!

なお、当方の連載は再開までいったん中止し、しばらくは小ネタを発表する予定です。


『換魂綺譚―アヴァタール』(テオフィル・ゴーチェ)



「入れ替わり」モノの調査とリスト化の盲点といえば、「転校生」以前の作品と男女間以外の作品、そして海外の作品だといっても差し支えない。

おそらく「入れ替わり」モノの研究が、TSFを中心になされたことや、「転校生」のイメージがあまりにも強くて、それ以前の作品がほとんど忘れ去られてしまったからではないかと思われるが、この点では、かの「入れ替わりマニアックス」はもちろんのこと、かつて存在した「てっつ庵」や「craft」も十分とは言えず、20世紀以降の作品、それも日本で翻訳された作品に限られていた。

そのせいからか、この作品は過去4度も刊行(収録)されたにもかかわらず、これらのサイトのリストにすら含まれず、話題に上ることもなかった。TSFのマニアもおそらく知らないのではないだろうか。それが、テオフィル・ゴーチェ(ゴーティエ)の小説”Avatar”(「化身」「権化」の意)だ。



換魂綺譚



本国では1856年に新聞に連載されたという。
現在、私が確認できる限りでは、欧米最古の「入れ替わり」モノだ。

ちなみに、この本は1948年、創元社刊(林憲一郎訳)。
百花文庫という、終戦直後に刊行されていた、文庫本より一回り大きい粗末な本だ。


内容は、世間が最も嫌う(?)男同士の「入れ替わり」。
それも絶世の美女に一目ぼれしたものの、その女性はすでに結婚していたということを知って、それ以来厭世的になってしまった青年貴族オクターヴと、彼の一目ぼれした女性プラスコヴィの夫オラーフが、オクターヴの治療のために、インドで修行をした医者〈魔術師)シェルボノー博士によって、半ば強引に魂を「入れ替えられる」いう設定。これじゃ「入れ替わり」の定番である、コメディーも期待できない。

訳者いわく「ゴーチェ的」だというが、私自身、ゴーチェの作品はあまり読んだことがないから、どこがどう「ゴーチェ的」なのかよくわからない。だが、この作品が書かれたころ、かの「おれがあいつであいつがおれで」や「転校生」はもちろんのこと、欧米の「入れ替わり」モノの名作であるF・アンステイの”Vice Versa”やメアリー・ロジャーズの”Freaky Friday”もまだなかっただけに、現代の「入れ替わり」モノに慣れ親しんでいる私にとっては、どこか斬新に見えてくる。


「入れ替わり」モノの歴史を語るうえでも欠かせない作品だが、旧字体と差別用語には悩まされた。
それがかえって「周囲からおかしいと思われる」ということをいっそう強調しているようにも思えるのだが、さて、ほかの三つの版(『ゴーティエ幻想作品集』『テオフィル・ゴーチェ小説選集』『変化 フランス幻想文学』)はどうなっているのやら。検証したいが、金がない…。

それだけ、この作家の作品は絶版が多く、古書価格も高いってことです(笑)











超世界への旅 日本のSF短編集

気がつくと、このブログも一年以上更新していなかった。

その間といえば、卒論と「TS解体新書」の記事の執筆に没頭していた。つまり、忙しくて、ブログに手が回らなかったわけだ。

とはいえ、大学も無事に卒業し、もらった祝金で4冊ほど「入れ替わり」モノを買った。
すべてクロエさんのサイト「入れ替わりマニアックス」のリストには掲載されていない本で、うち3作品は作品自体、リストされていない。いずれ、このブログで紹介することとしたいが『転校生』よりも前に発表された作品であることはいうまでもない。

超世界への旅表紙


今回紹介したいのはSF少年文庫の一冊「超世界への旅 日本のSF短編集」(1972年 岩崎書店)。
この作品は、以前にも取り上げた、光瀬龍の「あばよ!明日の由紀」の単行本初収録のバージョンだ。

SF少年文庫は1970年から73年にかけて、岩崎書店から刊行された全30巻からなる児童向けのSFシリーズで、これは17巻目。当時存命中だった国内・海外のSF作家の作品をはじめ、ウェルズやベリャーエフなどといった古典的SF作家の作品や短編を含んだバラエティ豊かなシリーズで、1986年と2005年~2007年の2度再刊行されている、児童向けのSFシリーズの傑作だ。

このシリーズは、当時は学校の図書館にもよく置かれていたようで、そのせいか、図書館の除籍本をわりと見かける。それだけに、今の40代以上の人なら、背や表紙に書かれた「SF少年文庫」というロゴに見覚えがある人や、その当時読んだ人だって少なくないだろう。
しかし、もともと図書館や学校向けに販売されたものなので部数も多くないし、児童書ということもあって、函やカバーが欠けていることも少なくない。実際、このシリーズの前半15巻の初期バージョンの函付きともなると、1万円を超えることもあるようだ。


ちなみに、私が入手したのは1980年発行の重版(第8版)でカバー欠。とはいっても、この巻は案外見かけないように思う。ちなみにこの巻以外で案外見かけないのは、メレンチェフの『宇宙紀元ゼロ年』や草川隆の『まぼろしの支配者』などが挙げられるだろうが…。


説明が長くなってしまったが、本題に移ろう。
ストーリーは前にも話したので、今回はイラストについての評論だけとしたい。

IMG_0001 (2)


同作の部分の挿絵は5枚(扉含む)。
ソノラマ文庫版『あばよ!明日の由紀』と同じく、古田足日の小説「大きい1年生と小さな2年生」の挿絵で有名な中山正美によるものだ。

IMG_0003.jpg

ソノラマ文庫版に比べ、幾分やわらかいタッチで描かれているとはいえ、由紀の目つきや服装などがいかにも不良少女らしくみえる。


そして、極めつけはこのイラスト!

IMG_0002 (3)

由紀になった章二が、由紀の家で、自分の姿を確認する場面。
今、まさにズボンを脱ごうとしている様子が描かれている。
初出にはあるかもしれないとは思っていたが、まさか単行本収録時にもあったとは…。


もともと「高1コース」という雑誌に連載された作品というだけに、小学校高学年~中学生向けの児童書に収録されているのが不思議な感じもするのだが、それはともあれ、こういったシリーズに掲載されたということは、いかに「入れ替わり」という設定がSF的かつ、特徴的なものに映っていたのかを感じさせられる。それだけに、「転校生」以前の男女入れ替わりものとしては「あべこべ玉」や「へんしん!ポンポコ玉」に並ぶ名作といってもいいかもしれない。

ちなみに、この本にはこの作品を含めて10の短編が収録されているが、その他の収録作品などについては、下記のサイトを参照。

http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/chousekai.htm





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Author:ウラックマ
「ありえる”かもしれない”未来~入れ替わりがもし本当にできたら~」を掲載しているウラックマです。この第2ブログの内容は、「入れ替わり」を扱った作品についての紹介と分析です。

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