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「あばよ!明日の由紀」(光瀬 龍 1969)


1960年代、時はSFの全盛期だった。
アイザック・アシモフやロバート・ハインラインなどといった多くの海外作家の作品が翻訳され、日本人による作品が数多く発表された。『時をかける少女』『日本以外全部沈没』の筒井康隆(1934~)や『日本沈没』の小松左京(1931~2011)、「SFマガジン」初代編集長の福島正実(1929~76)、『ねらわれた学園』の眉村卓(1934~)1000編を超えるショートショートで有名な星新一などが当時活躍した作家として挙げられよう。
 だが、多くのSF作家たちは「入れ替わり」という、この荒唐無稽なテーマを好まなかったようだ。
なぜならこれらの有名作家の作品をほとんど挙げることができないからである。おそらく、今のところ科学的には成り立たないので、結局はファンタジーの域を出ないからだと思われる。
その例外的な作品がこの『あばよ!明日の由紀』である。

21世紀によみがえった異色のSF作品
高校1年の冬であった。クロエさんの「入れ替わりマニアックス」でこの作品を知った。しかし、すでに絶版から20年以上が経過していることもあって、古書店などを回ってみても見つからなかった。ところが、数か月して、ヤフオクに同じくソノラマ文庫から出た『作戦NACL』とともに出品されているのをみて入札し、210円で落札した。初版の翌年に発行された第2版で小口やカバーにシミがあり、カバーの袖が折れているなど、状態はよくなかったが、読めただけでもよかったといえよう。
著者の光瀬龍(1928~99)は高校の理科の教師をするかたわら、宇宙や歴史をテーマにしたSFや推理小説風のジュニア向けSFを書いていた作家で、東映制作の特撮「キャプテンウルトラ」の監修を務めたことでも知られる。今では一般的な知名度こそ低いが、「宇宙年代記」シリーズや萩尾望都によって漫画化された『百億の昼と千億の夜』などが代表的な作品である。
初出は「高1コース」1969年4~7月号で、1972年8月に岩崎書店より刊行された「SF少年文庫」の一冊『超世界への旅 日本のSF短編集』に収録された(なお、このアンソロジーは1986年、2006年にも復刊されている。後述)。
これとは別に1979年10月にソノラマ文庫(朝日ソノラマ)から刊行された『あばよ!明日の由紀』がある。同作のほか、初収録となる2作品「逃げろ!ユカ」「ゆく春のうた」が収録されている。この時期、ソノラマ文庫は新たに刊行する作品が少なく、学研の「○○コース(○○には学年が入る。たとえば「中一コース」や「高一コース」など)」の過去の掲載作品を文庫化していた時期だったという。(ちなみに、ソノラマ文庫から刊行された光瀬龍作品は7冊あるが、うち3冊はサンヤングシリーズの文庫化、1冊はSF少年文庫の文庫化、残り3冊が「○○コース」収録作品である)
苦難の中から生まれた本だったのである。

内容紹介
主人公で高校1年生の戸沢章二は、モデルとして生徒たちから愛されている同級生の白川麗子に手紙を渡すものの、あっさり振られてしまう。失恋した彼は、その晩「美しい女の子に生まれ変わって、好きなやつをふってやったら気持ちがいいだろうなあ」と思って眠りに就いた。
気がつくと彼は行ったことのないゴーゴーのホールにいて、まわりの少女たちに「おねえちゃん」と呼ばれていた。彼は急いでホールを出ると思わず「私は逢坂由紀!」と叫んでしまった。あやしく思い、花屋のショーウィンドウに顔を映すとそこにはかわいらしい少女が映っていた。彼は逢坂由紀という少女になってしまったのである。
章二は由紀の家へ向かった。部屋を探って発見した日記には由紀が幻聴に悩んでおり、そのことを理由に彼女が家出をしたことが記されていた。由紀は章二になっていると思った章二は自分の家へ向かう。
彼の予測通り、由紀は章二になっていた。しかも、この不思議なできごとにはルイ・オサリバンという人物がやったのだという。二人はその原因を探るため、また、元に戻るために家出し、学校を休んでまで準備した。
その夜、二人はオサリバンの屋敷に潜入し、決闘の末、二人は元に戻った。けれども、オサリバンの正体や目的などは分からずじまいであった。

『転校生』との比較
「転校生」公開の10年以上前にこのような作品があったという意味では「あべこべ物語」と同様、特筆すべき作品で、共通する点、比較になる点も多い。
まず、初出が学年誌であることが挙げられる。学研の「○○コース」と旺文社の「○○時代」(○○には学年が入る)は当時、非常に有名な雑誌でライバル関係にあった。また、入れ替わるのが男女であり、話の最後には元に戻る点も共通している。
ところが、「おれがあいつで~」はファンタジーであるのに対して、「あばよ!~」は(いちおう)SFで、行動のおかしさを重視しているとはいえない。「おれがあいつで~」をはじめ、それ以後に発表された作品の多くは成行きにまかせて元に戻ろうとは努力せず、元に戻るまでお互いのふりをして過ごそうとする傾向にある。一方で「あばよ!~」はそのような考えが多少はあるものの、自分たちが入れ替わった原因の解明に積極的である。
それは光瀬の作風にあろう。この時期、光瀬はジュニア向けの雑誌で推理小説風のSF作品を多く発表している。これらの作品は主人公の周りで何か不思議な事件が起き、その原因などを突き止めるために周囲を調べ、解決に向かわせるという設定になっている。これは、彼のジュニア向けSF作品の代表作『暁はただ銀色』『北北東を警戒せよ』『作戦NACL』『明日への追跡』なども同じである。
どちらも、入れ替わったことを秘密にしている点では共通しているが、ことも挙げられる。「おれがあいつで~」はできるだけそのことを秘密にしようとしてはいるが、普段通りに学校に行っている。その結果として、二人の様子から、また、入れ替わっている状態が長続き(おそらく数カ月)していることから、結局ばれてしまう。一方、「あばよ!~」では二人が学校を無断欠席している。これは、入れ替わったことが友人にばれたり性格の変化におどろいたりしないようにするためであろう。その期間も内容からして2・3日くらいだと思われる。のちの作品では、「おれがあいつで~」のほうが内容的に面白いのでよく用いられ、騒動を起こすことが話の題材となっていることが多いので、展開からすれば、少し残念でもある。
性的な描写にも違いがある。「おれがあいつで~」以降の作品では女子になった男子が自身(つまり相手)の裸に興味を示そうとすることが多い。そのために、男子の体になった女子から怒られ、風呂に入る時に目隠しをされる「目隠しイベント」という描写がある。これは思春期特有の男子の好奇心をうまく表現したものだ。一方、「あばよ!~」では、由紀の体になった章二は興味を示そうとするどころか、「見てはいけないものを見てしまった」と恐れている。性的なものに興味をもってはいけないという当時の風潮からだろうか。
また、原因についてもはっきりと確定できないことも『転校生』とは異なっている。『転校生』は、どういうメカニズムで起こったのかは分からないにせよ、石段から転げ落ちたことがその原因である。しかし、『あばよ!~』ではそのきっかけを作ったのがルイ・オサリバンという老人であることまではわかるものの、どのようなことをしたのかについては一切触れられていない。おそらく、彼は宇宙人であり、我々には理解できない高度な科学技術をもって二人を入れ替えたということまでは推測できるのだが…。
『おれがあいつで~』や『転校生』では性や相互理解などについてのテーマがはっきりと作品に描かれ、逆に、それが原因で非難されるくらいだったという。しかし、一方、「あばよ~」にはその感じが薄い。
おそらく、この点において受け入れられなかったのだろう。当時の評価はよく知らないのだが、おそらく、不思議な内容のSF作品として楽しまれていたことだろう。

21世紀に奇跡の復活!
この作品は「SFロマン文庫」を最後に絶版となり、作品を読むことすら難しい状況にあった。しかし、2006年にこの作品集を含むシリーズを復刊した「SF名作コレクション」が刊行されたことで、この作品自体を読むことは簡単になった。私もつい最近、某市の図書館でこの本を発見し、手持ちのソノラマ文庫版と比較することができた。大筋ではストーリーの変更は特にないが、ソノラマ版の「ゴーゴー」が「店」と記されていたり、漢字や句読点などが違っていたりと、低年齢(小学校高学年)向けに書き直された感じも否めない。挿絵も、中山正美のソフトなタッチの絵から、寺島昭のやや精細なタッチの絵に変更されたことも残念な点ではある。 
ソノラマ文庫版は絶版となっているものの、市価はそれほど高くなく300円~800円が相場である。ところが、併録の2作品が復刊されておらず、本自体がソノラマ文庫より刊行された他の光瀬作品に比べるとあまりにも市場に出てこないので、探している人も多いようだ。

『あばよ!明日の由紀』は、テーマの強さにおいて『転校生』にかなわない。
とはいえ、前回・前々回で述べた『あべこべ物語』と同じく『転校生』以前に、しかもSFでこのような作品が存在したということだけでも貴重で、今まで忘れ去られてきたという事実が惜しいくらいである。『おれがあいつであいつがおれで』や『パパとムスメの7日間』もいいけれど、懐かしさと新しさついでに読んでみてもいいのではないだろうか?


・収録書籍リスト
「超世界への旅 日本のSF短編集」 SF少年文庫17 福島正実編 岩崎書店 1972
                  SFロマン文庫17           1986
SF名作コレクション第2期       2006
「あばよ!明日の由紀」       ソノラマ文庫(朝日ソノラマ)      1979


(注)
※)SF少年文庫…
1970~73年にかけて岩崎書店から刊行されたジュニア向けのSF作品選。ハードカバーで、背と表紙の右上に赤く「SF」と書かれた大きなロゴがある。初期15巻までは「エスエフ少年文庫」と記されており函装で、ロゴのデザインも異なっていた。25巻までの予定だったが、ラインナップを大幅に変えて30巻まで刊行された。内容は、古典的作品、刊行時点で存命中だった海外の有名作家の作品、日本の作家の作品など多岐にわたっており、中には光瀬の『作戦NACL』や『まぼろしのペンフレンド』(眉村卓)「迷宮世界」(福島正実)などのように、のちに文庫化された作品もある。途中、カバー装に改められて1970年代終わりまで刊行され、当時の子供たちに親しまれた。「SFロマン文庫」は1986年発行。全巻を復刊したもので、ソフトカバーであるほか、ロゴが異なる。「SF名作コレクション」は判型および挿絵を変更したもの。出版元に在庫はないようだが、図書館で探すと比較的見つけやすいことだろう。

※)ソノラマ文庫…
朝日ソノラマから出ていた文庫シリーズ。1975年に「宇宙戦艦ヤマト」(豊田有恒原案、石津嵐著)など10巻が刊行されたのが最初で、初期の作品は「サン・ヤングシリーズ」からの再録が多かった。ライトノベル文庫の中では最も古く、ハードな作風のものが多かったが、2007年に出版社の倒産により廃刊。その一部は、朝日文庫・ソノラマセレクションやソノラマノベルスレーベル(朝日新聞社)に引き継がれている。
代表的な作品として高千穂遙の『クラッシャージョウ』や、菊地秀行の『吸血鬼ハンターD』、笹本祐一の『ARIEL』などがあった。
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あべこべ物語(1932?)その2

映画「転校生」にすり替えられた元祖の地位
前回述べたように、『あべこべ物語』は日本における「入れ替わり」というテーマを扱った作品の元祖であるといえよう。しかし、この作品が、今の「入れ替わり」を扱った作品に直接、影響をもたらしているとするのは考えすぎだと思われる。これには二つの理由がある。一つは、今後の研究によってはこれよりも古い作品を発掘する可能性もあること、もう一つは現在この作品が、もはや完全に忘れ去られているといっても過言ではないほど話題にのぼることがほとんどないことである。

『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』(角川学芸出版 2008年)によると、大林宣彦監督自身もこの作品を子どもの頃に読んだという。読んだのはおそらく、『ユーモア艦隊』、もしくは1948年に刊行された湘南書房版『あべこべ玉』だと思われるが、作品の詳細については記載されていないのが惜しまれる。『転校生』公開以後、似た内容やテーマの作品がフィクションにおいて数多く登場しているにもかかわらず、引き合いに出されることはめったにない。

今のところ、この作品の最も新しい版は1982年12月に刊行された青い鳥文庫版である。この版の売れ行きは悪かったのだろうか、初版のみで絶版となったようでその後は刊行されていない。1982年といえば、大林宣彦監督の映画『転校生』が公開された年であり、その因果関係ははっきりしないものの、この作品が少なからず影響を及ぼしたものと考えられる。

かつて、『サトウハチローユーモア小説選』という作品集が岩崎書店から刊行されたことからもわかるように、1973年にサトウハチローが没して以後、彼の様々な分野における作品の評価が行われてきた中で、この作品が刊行されたのだと思われる。けれども今、彼が童謡や詩だけでなく、小説の分野でも活躍していたことを知る人は少ない。もちろん、これらの本も1990年代初頭までには絶版となり、今では古書店や図書館でないと見つけることができない。(注:『サトウハチローユーモア小説選』のうち、一部は岩崎書店のフォア文庫からも刊行された)。

軽いタッチのコメディーと性や相互理解など、さまざまな要素を盛り込んだ作品、どちらが人々から高い評価を得るかは明らかである。その結果、半世紀近くにわたって(断続的とはいえるだろうが)読まれてきた『あべこべ物語』はついに『転校生』の前に敗れたのだ。
最も新しい講談社青い鳥文庫版の刊行からでも四半世紀を経た今、この作品を読むことは困難である。戦前に刊行された『ユーモア艦隊』はもはや稀覯本となり、少年少女講談社文庫版、青い鳥文庫版でさえも古書店ですらなかなか見かけなくなってしまった。

ほかのジャンルにおける「元祖」のなかには、H・G・ウェルズの『タイムマシン』や『宇宙戦争』『透明人間』のように、不朽の名作として揺るがぬ地位を得ているものが多い。けれども、そこに『あべこべ物語』の姿はない。現在「入れ替わり」というテーマの元祖は『転校生』あるいはその原作の『おれがあいつであいつがおれで』ということになっている。確かに、現在の作品に影響を与えた直接的な元祖としては、この2作品がふさわしいであろう。けれども、その点だけに注目してしまうと、『転校生』以前の作品たち、つまり「前史」があったことを忘れされられてしまう。その点において『転校生』は『あべこべ物語』というもう一つの元祖を葬り去ってしまったということもできよう。

今、真の「元祖」は図書館や古書店の本棚で深い眠りについている。だが、それを手に取らずして、『転校生』以後の作品について本当の意味で語ることはできないであろう。

次に紹介する作品もまた、『転校生』以前の「入れ替わり」フィクションを語る上で重要な作品である。この作品も長い眠りについていたが、最近になって再びよみがえることができたものである。

それが光瀬龍の『あばよ!明日の由紀』(1969年)である。
次回はこの作品について語ることにしよう。

あべこべ物語(サトウハチロー 1932?)

「あべこべ物語」 ・・・隠されたパイオニア

2007年、高校1年も終わりかけの3月のことである。岡山にある古書店「万歩書店」の本店に行く機会があった。規模も大きいというので、今まで県内の小さな古書店では見つからなかった本がたくさん出てくるだろうと思って見つけたらすぐに買うという意味での「購入リスト」を作り、この本もその中に入れてはおいた。
店内にはさまざまなジャンルの本があり、特に一昔前の文庫本においては大きな収穫があった。しかし、目当てのこの本は見つからなかった。

ところが、しばらく棚を見ているとうっすらと『あべこべ物語』と書いた本が目に入ったのである。少年少女講談社文庫版の背は赤なのだが、日焼けでほとんどわからなくなっていたので見落としていたのだ。手に取ってみると間違いなく目当ての物。カバーも端のほうが破れていて、満足できる状態ではなかったものの、500円と安かったので買うことにした。

著者のサトウハチロー(1903~73)は、『ちいさい秋みつけた』、『かわいいかくれんぼ』、『うれしいひなまつり』歌謡曲に『リンゴの歌』、『長崎の鐘』、『うちの女房にゃ髭がある』、などで知られ、童謡作家や詩人として今なお高く評価されている。だが、児童向けのユーモア小説を書いていたということはあまり知られていない。具体的な作品名を思い出せる人となるともっと少ないのではないだろうか?サトウは1929年ごろから多くの作品を発表しており、代表作に『おさらい横町』『ジロリンタン物語』などがある。(これらは『サトウハチローユーモア小説選』というシリーズで岩崎書店から刊行されている。ただし、『あべこべ物語』と『モコちゃんトコちゃん』は当時、講談社から刊行されていたからか、含まれていない)

この作品は、今は削除されたウィキペディア「入れ替わり」の項目によると、1932年に発表されたという。ただし、これが何をもとにしているのかはわからず、雑誌に掲載されたかどうかもはっきりとしていない。(可能性があるとすれば講談社から刊行されていた雑誌「少女倶楽部」だろう。この雑誌にサトウが多くの作品を発表していたこと、本文中に「少年クラブ」(当時の表記は「少年倶楽部」)「少女クラブ」(同「少女倶楽部」)の雑誌名が出てくること、「ユーモア艦隊」が講談社から刊行されていることからである。)、戦前のタイトルは「あべこべ玉」といい、1934年に大日本雄弁会講談社(現在の講談社)より刊行された作品集「ユーモア艦隊」に収録されている。

戦後は1948年に湘南書房より刊行され(残念ながら、私はこの版を見たことがない)、1975年に再び講談社よりより刊行されている(少年少女講談社文庫…1972年から刊行された子供向けのシリーズ。文庫と名乗っているが、B6判ハードカバー。世界の名作のダイジェストから創作童話、ノンフィクションまで様々なジャンルを扱っていた。前期と後期でカバーのデザインが違い、『あべこべ物語』の場合には2種類ある)。このとき、タイトルが「あべこべ物語」と改題されたようだ。
なお、少年少女講談社文庫が、講談社青い鳥文庫となった1982年にも再刊行されている。

あらすじ

東京に住む小学6年の妹千枝子の家に千葉中学二年(旧制)の山上運平が帰ってきた。二人は時計の中から、不思議な赤い玉を見つける。それはほら話ばかりする「でたらめのおじさん」がもってきた「ポンポコ玉」という赤い玉だった。その玉は、持ち主の願い事を一度だけ叶えてくれるという。しかし二人はその前でケンカしてしまい、朝起きると入れ替わってしまっていた。

家族はおかしくなった二人を不審に思う。しかし、その「ポンポコ玉」は叶えてもらった願い事をほかの人に言うと死んでしまうという。その恐ろしさもあって元に戻れない日々が続く。

運平になった千枝子は言葉づかいやしぐさなどで友人たちに笑われ、千枝子になった運平はさまざまなことでドジをしてしまう。

ついには野球の試合にでた運平(千枝子)を助けに行くために、千枝子(運平)は虎刈りにして野球に出場する。ところが、最後にはその秘密をばらしてしまい、二人は「むにゃむにゃ」といいながら「永遠の眠り(いうまでもなく、死)」についてしまった。

しかし、それまでのことは二人の見ていた夢だった。

「おれがあいつであいつがおれで」の遠い先祖か?

この作品は戦前に発表され、『転校生』のおよそ半世紀前にこのような内容の作品が存在したという点において特筆すべきものである。

確かに、現代の作品に多い「お互いの立場の理解」というテーマも含んではいるが、それよりも、当時の社会の風潮であった男尊女卑という要素のほうが強いと思われる。それをこの作品ではサトウのユーモアで皮肉っているのである。それらは主人公たちの置かれている状況や気持ちからも伝わってくる。

当然のことながら、学校は今のように男女共学ではない。「(旧制の)帝大に行きたい」というセリフは女子の大学進学率が上昇している現代からはとても考えられないが、そのように願っていた人も多かったのだろう。「時機がくれば男になれるんです」というセリフもまた、男女平等という意味で戦後の女性の社会進出を暗示させているかのようである。この作品に限らず、性差をテーマとしたものは外国の初期の作品にもあるようだ。

また、映画「転校生」などのちの作品に受け継がれ、今なお用いられている描写や設定も少なくない。それは、作品がファンタジーとして描かれていることが挙げられる。ファンタジーは、不思議さやおもしろさ、おかしさなどを追求している。そこに難しい科学的理論や説明は一切不要である。すぐには元に戻れないというアクシデント的設定や周りの人が二人の変わり様に驚く場面などもそれにあたる。
この騒動のきっかけとなった「ポンポコ玉」は、それ自体は単なる願いをかなえる道具である。だが、二人の誤って使い方のために災難となってしまったのだ。ただ、『転校生』以後によく用いられるようになる設定である、衝突や転落などに比べるとアクシデント的な要素はなく、おだやかなものだといえよう。

このように『あべこべ物語』は「入れ替わり」というテーマにおける元祖であるといえよう。けれども、この作品は今、『転校生』の前に完全といってもいいほどに忘れ去られている。次回はその背景について考えたい。

第1部 『転校生』以前 はじめに

はじめに

初めに、あなたに一つ質問をしたい。

「もしも二人の男女の心と体が入れ替わってしまったら…」


と聞けば、あなたはどんな作品を思い出すだろうか。
40代以上の多くの人は『転校生』と答えるだろうか。
また、若い人であれば『パパとムスメの7日間』などと答えるだろうか。

「入れ替わり」というテーマの元祖は一般に、映画『転校生』だと認識されている。1982年にこの作品が公開されから四半世紀が過ぎた今、このテーマは、フィクションにおいては一般的な題材となり、マンガやアニメなどでもおなじみの題材になっている。今では飽和状態にあるといってもよく、すでに「使い古されている」という言葉も出て久しい。それでも今なお、この題材がいまなおよく用いられていることに変わりはない。

特に、「入れ替わり」という題材を一般化したということにおいては、その影響力は大きかったといえよう。当時の人たち、特に当時の若者たちにとっては印象に残る内容だったから(逆に破廉恥だと批判する人もいたようだが)、似たような作品が作られた時にそれを思い出してしまうのだろう。もちろん、それによって「入れ替わり」というテーマ自体が発展することは好ましいことである。

だが、その裏には大きな誤解が生まれている。それは、


『転校生』以前にはこのような作品はなかった


ということと、


『転校生』はこの分野の元祖である


ということである。

今まで、この作品以前のものについてまとめてふれているものは非常に少なかった。その原因は、「入れ替わり」というテーマ自体がほとんど研究されてこなかったことと、『転校生』の偉大さゆえに、この作品以前に発表された作品が「入れ替わり」というテーマの成り立ちを考える上で、軽視されてきたことだと思われる。この時期の作品は、クロエさんのサイト「入れ替わりマニアックス」でもリストに簡単に取り上げられているだけである。
しかし、実際はそうではない。『転校生』はここ四半世紀程度の作品につながるものでしかないし、この作品の影響が現れ始めるのは、発表から十数年も後のことである。

意外と知られていないが、実際のところ、それ以前にもこのような作品は存在したのである。これらはフィクションとしての作品における「入れ替わり」を扱った作品のパイオニアであるだけでなく、中には『転校生』をはじめとする、のちの作品にも通ずる内容のものさえあるくらいだ。

このことが一般的には知られていないように、これらの作品は歴史からいったん消されてしまったといえる。それは「入れ替わり」というテーマがマンガやドラマ、アニメなど、さまざまなメディアに登場しているにもかかわらず、ほとんど話題に上らないことに表れている。今になってようやく愛好家(?)によってスポットが当てられるようにはなってきたものの、長い歳月によって散逸してしまったと思われるもの、掲載誌や初出が不明なものも少なくない。とくに大正時代以前や戦前、戦後の混乱期においてはどのような作品があったかほとんどわかっていないといっても過言ではない。調査が進めば、今まで知られていなかった作品が発見される可能性だってあるだろう。

この文章の内容は「入れ替わり」を扱った作品について、年代ごとにそのあらすじと特徴的な部分の紹介、作品の考察などを考察したものである。「作品史」としてもよいはずだが、取り上げる作品が小説・マンガ・映像作品など多岐にわたっており、また、ほとんどすべてがフィクションであるため、あえて「フィクション史」とした。この第1部では「転校生」以前に発表された作品を中心にその起源を探ってみることにしよう。

ただし、「転校生」の原作である「おれがあいつであいつがおれで」は発表されたのが1979年と、時期としてはこの第1部でふれるべき作品だが、この作品自体がのちの作品に多大な影響を与えているという特性上、ここでは省略し第2部「『転校生』の時代(1982~1990年ごろ)」でふれることにする。

プロフィール

ウラックマ

Author:ウラックマ
「ありえる”かもしれない”未来~入れ替わりがもし本当にできたら~」を掲載しているウラックマです。この第2ブログの内容は、「入れ替わり」を扱った作品についての紹介と分析です。

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